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浜離宮
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築地川に霧の様な雨が降っている。
三月に予定していたカメさん会だったのだが、東日本地震の翌日だった為、今日に延期になったものだ。
集合場所の浜離宮恩賜庭園の大手門に行く前に、時間があったので、築地市場まで歩いてみた。
先日、教えてもらった「多け乃食堂」の辺りをぶらぶら見て廻り、浜離宮の大手門に引き返す。
雨の為、キャンセルされた方も何人かいたのだが、総勢10名で、吉岡さんの他に、もう一人プロカメラマンの片桐さんが参加してのカメさん会になった。
浜離宮は徳川将軍家の庭園だったのだが、六代将軍家宣の時に将軍家の別邸となり、『浜御殿』と呼ばれる様になったとパンフレットに記してある。
まずは『三百年の松』、それから『延遼館跡』の桜を撮る。花見をする程の桜の数ではないが、ちょうど見ごろをむかえていた。
続いて昨年暮れに、復元工事が完成したという『潮入の池』の畔にある『松の御茶屋』へ。庭を見せる為に造られたもので、ここからは庭の全景を眺める事ができる。
池に架かる『お伝い橋』を渡り『中島の御茶屋』へ。ここではお茶と和菓子が楽しめ、セットで500円となっている。
『中島の御茶屋』の写真を撮って外に出ると、幸いなことに雨は上がっていた。空を見上げると、東京湾に面している所以外は高層ビルに取り囲まれている。
傘をしまい、『庚申堂鴨場』と呼ばれる池に沿って暫く歩くと、『将軍お上がり場』に行きあたる。
将軍が船で浜御殿に来る場合の上陸の場と説明書きにある。
徳川幕府最後の将軍慶喜は鳥羽伏見の戦いに敗れ、ひそかに江戸に逃げ帰るのだが、この場所から浜御殿に上陸したのだろう。
下母澤 寛の『勝海舟』の中に、その場面が描かれてある。
松の御茶屋の御縁履ぬぎ石まで庭を突っ切って、ずっと新しい茣蓙が敷きつめられている。
出迎えの人々は水を打ったように平伏した。一番先に松平肥後守が上がってきた。次いで慶喜だ。さすがに前の十五代の将軍家、不思議な威容が備わっている。
海舟は松のお茶屋に呼ばれた。慶喜は縁端近くに平伏した勝に「安房」と声をかけたが、それ以上は言葉が続かなかった。
「上様」
「安房」
慶喜はまた言った。眼は、近寄れといっている。勝は、一膝にじりでた。
「何故に、御帰東遊ばれました」
と強く早口に、叱りつける調子であった。
「何故に、この不体裁にて、御帰り遊ばされたか」
「大阪城に御籠りなさるに於いては、例え十万百万の兵を以って攻めらるるも、更に恐るるに足らざるものを、返す返すも、残念至極にございます」
勝が言ったことは、幕臣の誰もが思うことであった。
「安房」
慶喜はぷっつりと、そう言った。
「最早、致し方はない。この上は、頼るはその方只一人である。只一人であるぞ。安房、頼む」
将軍お上がり場を過ぎると、浅草に向かう水上バスの乗り場になる。ちょうど水上バスが発着場に入って来た。予定を変更して、皆でこれに乗って、隅田川沿いの桜を撮ろうという事になったのだが、団体客ですでに満員とのこと。あいにくの天気にも関わらず、訪れる人は多いのだ。諦めるしかない。
その後、菜の花の咲くお花畑を通り、スタート地点の大手門に辿り着いた。
写真を撮りながら、ゆっくりと歩いたのだが約2時間。
流石に将軍様の別邸は広かった。
私達は休息の場をもとめて新橋駅方面に向かって歩いて行った。
淳之介
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